函館港内「カーフロート」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/01 17:33 UTC 版)
函館は港湾の発展に比べ鉄道の開通が遅れたため、海運主体で発展し、倉庫が海岸に近接して建ち、函館駅から遠く離れた西浜岸壁に倉庫地帯や函館船渠が立地して、この間をつなぐ臨港鉄道を建設する余地はなかった。第一次世界大戦以降の海運貨物の鉄道転移と車両航送開始による鉄道貨物激増により、函館駅裏の船入澗や函館駅と、これら倉庫地帯を結ぶハシケ運輸や経費高の陸上小運送が増加していた。このため、車運丸による西浜地区への貨車航送試験が終航前年の1926年(大正15年)1月14日に施行され好成績が得られた。 このため、車運丸よりやや小型で、軌道1本、15トン積み貨車3両積載の貨車ハシケ「カーフロート」2隻が函館船渠で建造され、1927年(昭和2年)7月11日から運航され、北海道炭礦汽船函館出張所では貯炭場に貨車を乗り入れさせるための簡易な可動橋を設置し、函館船渠 岸壁では移動クレーンを用いるなどして利用され、太平洋戦争中まで運航された。
※この「函館港内「カーフロート」」の解説は、「車運丸」の解説の一部です。
「函館港内「カーフロート」」を含む「車運丸」の記事については、「車運丸」の概要を参照ください。
- 函館港内「カーフロート」のページへのリンク