函館潜伏 - 渡米
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 08:52 UTC 版)
元治元年(1864年)、アメリカ合衆国への渡航を画策し、「快風丸」に乗って開港地の箱館へと向かう。箱館に潜伏中、当時ロシア領事館付の司祭だったニコライ・カサートキンと会う。ニコライは新島から日本語と日本の書物(古事記)などの手ほどきを受け、また聖書に興味を持つ彼に自分の弟子になるよう勧めたが新島のアメリカ行きの意思は変わらずニコライはそれに折れ、坂本龍馬の従兄弟である沢辺琢磨や福士卯之吉と共に新島の密航に協力した。 6月14日(7月17日)、函館港から米船ベルリン号で出国する。上海でワイルド・ローヴァー号に乗り換え、船中で船長ホレイス・S・テイラーに「Joe(ジョー)」と呼ばれていたことから以後その名を使い始め、後年の帰国後は「譲」のちに「襄」と名乗った。慶応元年(1865年)7月、ボストン着。 ワイルド・ローヴァー号の船主、アルフィーアス・ハーディー夫妻の援助をうけ、フィリップス・アカデミーに入学することができた。
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