出生から政界入りまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 23:55 UTC 版)
「アーサー・バルフォア」の記事における「出生から政界入りまで」の解説
1848年7月25日、スコットランドのイースト・ロージアン州ホィッティンガム(英語版)に生まれた。 父ジェイムズ・メイトランド・バルフォア(英語版)は大富豪・大地主であり、また庶民院議員も務めた人物だった。バルフォア家はスコットランドの旧家であり、18世紀末に祖父ジェイムズ(英語版)がイギリス東インド会社の貿易で莫大な富を築いた。スコットランドに広大な土地を購入し、ホィッティンガムをその本拠とするようになった家柄である。 母ブランチェ・メアリー・ハリエット嬢(Lady Blanche Mary Harriet)は第2代ソールズベリー侯爵ジェイムズ・ガスコイン=セシルの娘だった。ソールズベリー侯爵家は代々ハットフィールド(英語版)を領してきた名門貴族である。 長弟にセシル・チャールズ(Cecil Charles)、次弟に生物学者となるフランシス・メイトランド(英語版)、三弟に政治家またバルフォア伯位の継承者となるジェラルド(英語版)、四弟に国王副官となるユースタス・ジェームズ・アンソニー(Eustace James Anthony)がいる。また姉が三人おり、長姉エヴェリン・ジョージアナ・メアリー(Evelyn Georgiana Mary)は物理学者第3代レイリー男爵に、次姉エレノア・ミルドレッドはヘンリー・シジウィックにそれぞれ嫁いでいる。 ワーテルローの戦いの英雄ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーが代父となり、彼の名前をとってアーサーと名付けられた。 7歳の頃に父が死去。1861年から1866年までイートン・カレッジで学び、次いで1866年から1869年にかけてケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジで哲学を学んだ。哲学研究にのめりこみ、家の財産は弟に譲って自らはケンブリッジ大学に残り、哲学研究を続けようかと考えた時期もあったという。 しかし叔父にあたる保守党貴族院議員の第3代ソールズベリー侯爵の勧めや、母ブランチェから高貴な家に生まれた者は政治的・社会的責任を負わねばならないというノブレス・オブリージュ的な考えの説教をされたことで、最終的には政界の道を選んだ。
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