出家と誓い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 05:30 UTC 版)
寛永18年(1641年)、12歳のときに雄勝郡岩井川村(現東成瀬村岩井川字東村)の曹洞宗長渓山龍泉寺の寺僕となって、2年間この寺に起居、剃髪して仏門に入った。寺に出入りしていた加賀浪人・斎藤自得が代わりの寺僕を見つけて来たため、禅師は寺僕の任を逃れ得て出家修行が可能になった。 寛永20年(1643年)、14歳の了翁は陸奥国(後の陸中国)平泉の中尊寺(岩手県平泉町)を詣でたが、その際、多くの経典がすでに散逸してしまっていることを知った。特に藤原清衡奉納の宋版大蔵経の多くが失われていることを嘆き、近隣を探し回り、今日国宝の一部として知られる金銀交書(紺紙金銀交書大般若経)6巻を返納した。さらにこれ以後、散逸した経典や群書の蒐集と一切経蔵建立の運動に一生を捧げることを誓った。
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