冷泉為広とは? わかりやすく解説

冷泉為広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/06 15:26 UTC 版)

 
冷泉為広
時代 室町時代後期 - 戦国時代
生誕 宝徳2年(1450年
死没 大永6年7月23日1526年8月30日
改名 為広→宗清(号)
官位 正二位権大納言
主君 足利義澄
氏族 上冷泉家
父母 父:冷泉為富
丹波重長の娘
為和、応猷、尊俊、孝我、将軍家女房
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冷泉 為広(れいぜい ためひろ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての公卿歌人権大納言・冷泉為富の子。官位正二位・権大納言。上冷泉家6代当主。

経歴

文明9年(1477年)、従三位に叙位。文亀元年(1501年)に正二位に昇り、永正3年(1506年)に権大納言兼民部卿に至る。11代将軍・足利義澄室町幕府相伴衆を務め、永正5年(1508年)に義澄が将軍職を追われると、それに従って出家して宗清と号した。

能登国守護能登畠山氏と最も親しく、能登に長らく在国し、同国で薨去したともいわれる。

歌人としては、『為広卿集』『為広詠草』などの歌集が伝わる。

文献における記載

耳嚢』巻之一「為広塚の事」に以下の記述がある。

加賀・能登の境に、冷泉為広の歌塚といへる物有し由。左に記す。
季世尓残牟
為広塚加能
跡動無建碑
如斯にて歌に詠じ侍れば、
すゑの代に残さんがため広塚のあと動ぎなくたつる石ふみ

系譜

注記のないものは「御子左系図」『続群書類従』巻第148所収による。

  • 父:冷泉為富
  • 母:不詳
  • 妻:丹波重長の娘[1]
    • 男子:冷泉為和(1486年 - 1549年)
    • 男子:応猷
  • 生母不明の子女
    • 男子:尊俊
    • 男子:孝我
    • 女子:将軍家女房

脚注

  1. ^ 「御子左冷泉系図」『系図綜覧』第二所収、『諸家知譜拙記』

出典

関連項目





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