冬深し巨船ひたすら南溟へ
作 者 |
|
季 語 |
|
季 節 |
冬 |
出 典 |
|
前 書 |
|
評 言 |
「南溟」は荘子「逍遥遊」に出てくる言葉で「北冥(北の果ての海)に魚有り、その名を鯤(こん)と為す」とあり、鯤という大魚の大きさは何千里あるのか見当もつかない程である。この巨大な鯤が転身の時を迎えると、姿を変えて鵬という巨鳥となる。その背中の大きさは幾千里あるか想像もつかない。この巨鳥は、海が荒れ動くときになると、南冥(南の果ての海)へと天翔ける。南冥とは、「天の池」であると書かれている。中国らしい気宇壮大な例え話であるが、何ものにも拘束されない自由な境地を暗示したものである。 掲句は、冬のさなかの荒れた海を大きな船が遥か南の方を目指して進んでいる景が目に浮かぶ。船は客船より、巨大タンカーか大きな貨物船の方が冬の海にイメージが合う。日本の動脈と言うべきシーレーンを目指して、巨大タンカーが黙々と進んでいる様を詠んだ句であろう。現代文明の象徴ともいうべきタンカーが、荘子に出てくる太古の墨絵のような海原を突き進んでいる、幻想的な大きな景の句である。龍太作品は、景の見える格調の高い句が多い。自分が住む甲府の山々や川などの自然の景を詠んだ句が多く、掲句のような海の句は珍しい。 次の句なども格調が高くすっきりと詠まれていて好きな作品である。俳句に迷ったとき原点に立ち返って手本としたくなる。 鶏鳴に露のあつまる虚空かな 早乙女に雲の上なる夕景色 朧夜のもう誰も出ぬ不浄門 大木の熊の爪跡青あらし 川ひたと定まる秋の高嶺かな |
評 者 |
|
備 考 |
- 冬深し巨船ひたすら南溟へのページへのリンク