冒険小説執筆
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それまでも『水滸伝』『三国志』を愛読し、『少年文庫』誌にも投稿していた方存は、ユーゴー、デュマなどに刺激を受けて小説を志し、『海底軍艦』を執筆。海軍少将肝付兼行、少佐上村経吉などに助言を得て、遠縁にあたる桜井鴎村の紹介によって巖谷小波に認められ、在学中の1900年(明治33年)に『海島冒険奇譚 海底軍艦』を文武社から出版し人気を得る。この頃小波の主催する文学サークル木曜会にも参加し、永井荷風ら小説家たちとも親交を得て、また小波からは後に「春波」の号を与えられるが、これを自ら「春浪」に改めた。 『海底軍艦』は翌年には再版が出るとともに、生田葵山の紹介で大学館から『航海奇譚』を出版。続いて同社で『世界怪奇譚』シリーズ全6篇などを刊行、また『海底軍艦』の続編など、次々と冒険小説を発表する。同年に東京専門学校卒業。母の療養のために鎌倉に移り、翌年鎌倉に越して来た国木田独歩とも親しくした。同年7月に東京に戻り、牛込で一家で同居。1903年(明治36年)に結婚して浅草寺近くに居を構え、一時千葉の館山にも住んだが、後に転々と転居を繰り返した。この頃から過度の飲酒により、徐々に体調を崩すようになってもいた。
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