再起を狙って
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 10:08 UTC 版)
「ウィンストン・チャーチル」の記事における「再起を狙って」の解説
帰国したチャーチルは新聞に投書する文筆業で生計を立てるようになった。また政界では再起を狙って大連立に否定的な野党的議員と連携して政界再編を起こそうと尽力した。 1916年9月から「ダーダネルス調査委員会」が開催され、ダーダネルス作戦についての文書公開と調査が行われ、チャーチルも聴聞会に召喚された。チャーチルは自分が常に海軍の専門家から同意を得て作戦を実行したことを強調した。 同年12月にはより強力に総力戦体制を構築できる政府の樹立を求めていたロイド・ジョージが、保守党の支持も得て、「戦争委員会の再編成を行い、少数の閣僚のみで構成するようにし、その委員長は自分にすべき」と首相アスキスに要求した。アスキスは首相である自分を委員長にするよう要求したが、ロイド・ジョージは拒否し、名目上の首相になるのを嫌がったアスキスが辞職したことで、ロイド・ジョージ内閣が成立した。 チャーチルは再入閣を希望し、ロイド・ジョージもチャーチルを協力してくれたが、保守党党首ボナー・ローがチャーチルの入閣に強く反対し、ロイド・ジョージも当面はそれを受け入れざるを得なかった。チャーチルは諦めずに延々と入閣工作を進めた。 一方ロイド・ジョージ首相はダーダネルス調査委員会の報告でチャーチルの名誉が回復されるまで入閣を辛抱するようチャーチルを説得していた。この報告は1917年3月に発表され、ダーダネルス作戦の失敗の責任はチャーチル一人のせいにされるべきものではなく、アスキス元首相にも重大な責任があるとしていた。
※この「再起を狙って」の解説は、「ウィンストン・チャーチル」の解説の一部です。
「再起を狙って」を含む「ウィンストン・チャーチル」の記事については、「ウィンストン・チャーチル」の概要を参照ください。
- 再起を狙ってのページへのリンク