再出仕までとは? わかりやすく解説

再出仕まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 16:56 UTC 版)

柳生三厳」の記事における「再出仕まで」の解説

寛永14年1637年5月初旬の夏稽古が始まる頃、致仕して以来11年ぶりに江戸帰還し柳生藩邸滞在しながら、改めて父・宗矩の下で相伝を受ける。同年秋の終わりごろ、それらの至極まとめて伝書著し 父に提出して講評を仰ぐ。しかし宗矩より全て焼き捨てるよう(「一炬焼却去」)命じられたため、驚愕し当時屋敷同居していた父の友人禅僧沢庵宗彭相談したところ、沢庵から宗矩の真意説かれ上で焼却命じられ伝書加筆校正施される沢庵教示受けた三厳が「父の以心伝心秘術事理一体、本分の慈味を了解し胸中疑念晴れ」たとして、再度伝書を父に提出すると、宗矩も更なる精進促すためとしながらもこれを認め、三厳に印可授けた。 翌寛永15年1638年)、家光重用されていた次弟友矩が病により役目辞すのに前後して、再び家光出仕することを許され江戸城御書院番任じられた。

※この「再出仕まで」の解説は、「柳生三厳」の解説の一部です。
「再出仕まで」を含む「柳生三厳」の記事については、「柳生三厳」の概要を参照ください。

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