再び大政奉還論へとは? わかりやすく解説

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再び大政奉還論へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 05:55 UTC 版)

坂本龍馬」の記事における「再び大政奉還論へ」の解説

土佐藩乾退助説く過激な武力討幕か、後藤象二郎説く穏健な大政奉還かで藩論揺れ動く中、10月9日龍馬入京し、この間、容堂の同意受けた後藤10月3日二条城登城して、容堂、後藤寺村福岡神山左多衛連名老中板倉勝静大政奉還建白書提出し幕府時勢従い政権朝廷奉還することを提案していた。しかし乾退助武力討幕意見曲げず大政奉還論を「空名無実」と批判し徳川300年幕藩体制は、戦争によって作られ秩序である。ならば戦争によってでなければこれを覆えすことは出来ない話し合い将軍職退任させるような、生易しい策は早々に破綻するであろう」と真っ向から反対する意見言上したことで全役職解任され失脚した大政返上の事、その名は美なるも是れ空名のみ。徳川氏馬上天下取れり。然(しか)らば馬上に於いて之(これ)を復して王廷に奉ずるにあらずんば、いかで能(よ)く三百年の覇政を滅するを得んや。無名の師王者の與(くみ)せざる所なれど、今や幕府罪悪天下に盈(み)つ。此時に際して断乎(だんこ)たる討幕の計に出(い)でず、徒(いたづら)に言論のみを以て将軍職退かしめんとすは、迂闊極まれり。 — 乾退助 徳川慶喜がこの建白受け入れか否か不明確で、龍馬後藤に「建白受け入れられない場合は、あなた(後藤象二郎)はその場切腹する覚悟でしょうから、後下城なきときは、海援隊同志とともに慶喜路上待ち受けて仇を討ちます。地下で相まみえましょう」 と激し内容の手紙を送っている。一方将軍徳川慶喜10月13日二条城後藤を含む諸藩重臣大政奉還諮問。翌14日明治天皇上奏15日勅許下された

※この「再び大政奉還論へ」の解説は、「坂本龍馬」の解説の一部です。
「再び大政奉還論へ」を含む「坂本龍馬」の記事については、「坂本龍馬」の概要を参照ください。

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