典侍の廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/19 03:53 UTC 版)
大正天皇が一妻一夫制を実施したため、侍妾の役割を持つ典侍はなくなった。しかし事務女官としての典侍は存在し、最後の典侍となったのは大正15年6月に典侍に昇任した竹屋津根子(楊梅典侍)である。典侍・竹屋津根子、権典侍・清水谷英子を頂点とした大正天皇時代の女官は、天皇の崩御により、皇后宮職の女官から皇太后宮職の女官となった。 大正末期、当時の皇太子裕仁親王(昭和天皇)は女官制度の改革を進めた。典侍・権典侍などを廃して女官長を頂点とする東宮職女官制は、裕仁親王が天皇に即位し、そのまま皇后宮職の女官制へと移行した。これによって典侍などの職制は、貞明皇后の皇太后宮職にのみ存続された。また、女官が未婚女性で構成され宮中に居住する御局制度も、皇太后の青山御所でのみ存続していた。昭和27年1月1日、皇太后宮職の残務処理はすべて完了し、律令制度からの名残りを保っていた女官制もここで停廃された。
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