兵役と脱走
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/29 04:14 UTC 版)
当初は犯行歴から兵役に不適格と分類されていたが、結婚1周年から間もない時期、兵役資格の見直しが行われた結果兵役の資格ありとみなされた。1944年1月24日、彼は徴兵され、テキサスでの訓練の後にフランス戦線へと送られ第28歩兵師団へ配属されたが、前線に出ると戦闘を放棄して仲間と隠れるなどの敵前逃亡行為をくり返した。彼は砲台攻撃中に仲間とともに部隊からはぐれ、その後戦闘配置についていないカナダ軍部隊を見つけて前線後方で6週間ほどを過ごし、10月7日に部隊に戻った。スロヴィクらはこの件で特に起訴を受けたりしなかった。 翌10月8日、スロヴィクは上官のラルフ・グロット大尉に、部隊での戦闘がとても恐ろしいので後方に回してほしいと願い出る。もしこのままライフル部隊に配属されるようなら「逃げる」といい、もしそうしたら脱走の罪になるかと聞いた。グロット大尉はそうなるだろう、と言い、スロヴィクの願い出を却下して、そのままライフル部隊所属にさせた。 翌10月9日、スロヴィクは憲兵のもとに近づき、「前線に送られたら『逃げる』意図がある」と書いたメモを渡した。彼はさらに上官のロス・ヘンベスト中佐のもとに送られ、いまならメモを破って何もなかったことにすると告げられた。スロヴィクはヘンベスト中佐の申し出を拒否し、自分が何をしようとしているか、どういう結果になるか分かっている、と言う踏み込んだ内容のメモを書いた。 スロヴィクは営倉に入れられた。スロヴィクに接見した軍内の弁護士ヘンリー・サマー中佐も部隊に戻れば起訴は延期される可能性があると述べ、さらに別の部隊に異動することもできると語った。スロヴィクは拒否し、自分を軍法会議に送ってほしいと訴えた。
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