兵力と作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 06:11 UTC 版)
「第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争」の記事における「兵力と作戦」の解説
プロイセン・オーストリア連合軍 総司令官ヴランゲル元帥(プロイセン王国) 合計約55,000人、大砲180門。プロイセン軍 司令官カール・フリードリヒ親王 :プロイセン第1軍団 約24,000人、大砲約110門 オーストリア軍 司令官ガブレンツ元帥 :オーストリア第6軍団 約20,000人(歩兵4個旅団、騎兵1個旅団)、大砲約55門 普軍 司令官フォン・ミルベ将軍 :混成近衛師団 歩兵10,000人、騎兵500騎、大砲16門。(オーストリア軍の左翼に付属) オーストリア海軍 テゲトフ提督の指揮する連合艦隊プロイセン・オーストリア連合軍はまずシュレースヴィヒの占領を目的とし、プロイセン第1軍団はキール付近に集結して東部へ侵攻、レンデスブルク南方に集結したオーストリア軍と普混成近衛師団は西部へ侵攻する計画であった。 デンマーク軍 総司令官メザ将軍 合計約4万、大砲約100門歩兵約3個師団半、騎兵1個師団、その他砲工兵 その他、デンマーク海軍デンマーク軍は国境のアイダー川畔のレンツブルクと、エッカーンフェルデに小監視部隊を派遣すると共に、ダーネヴェルク (Danewerk) 要塞を中心とする半島狭隘部に3個師団の部隊を展開させて後方に予備隊を置く防御線とした。
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