共産党の凋落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 23:22 UTC 版)
「エストニアの独立回復」の記事における「共産党の凋落」の解説
秘密議定書に関する調査と並行して、エストニア最高会議は8月8日、ロシア人議員の反対を押し切って、有権者に数年の国内居住要件を求める選挙法を可決した。しかしこれに対し、7月末から8月上旬にかけて族際運動は労働集団合同会議・スト委員会共和国会議・ソ連軍退役兵士連合などのロシア人組織を糾合し、51企業から数千人のロシア人が参加する抗議ストを打った。8月16日には連邦最高会議幹部会が、このエストニアの新選挙法を連邦憲法違反と布告し、『プラウダ』は三国の人民戦線が「民族主義的ヒステリー」を助長していると非難した。 この圧力に屈したエストニア最高会議は、10月5日に次期地方選挙への新選挙法の適応を取りやめると決議し、族際運動への譲歩を続けるエストニア共産党の支持率は、秋頃から急落し始めた。同時期の調査では、人民戦線が全人口の35.2パーセント、エストニア人の50.3パーセントから支持を受けていたところ、共産党は全人口でも16.2パーセント、エストニア人の間では7.2パーセントの支持しか得られなかった。
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