共犯者の探索
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/02 14:27 UTC 版)
清水の処刑後、幕府は引き続き高橋藤次郎の行方を追ったが、手を尽くして探索しても高橋に関する手がかりは全く得られず、結局、幕府も高橋藤次郎は清水がでっち上げた架空の人物であると結論せざるを得なくなった。 そこで幕府は慶応元年(1865年)3月、清水の友人でその捕縛直後に急いで江戸を離れるなど不審な動きを見せていた医師田中春岱を京都で捕縛、さらに「清水が(両者共通の友人である)天方一と共に鎌倉で英人を斬ったと吹聴していた」という田中の供述により天方を捕らえ、2ヶ月に渡って2人を徹底的に追及した。 しかし田中と天方は事件への関与を頑強に否認、目撃者による面通しも行われたが彼らが共犯者であるという証言は得られず、やがて2人が著しく衰弱したため取り調べは中止となり、2人は釈放されたが、のちに田中は清水から事件について聞きながら届け出なかった科により遠島に処されたという。
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