共和制下での勢力拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 09:24 UTC 版)
「イタリア共産党」の記事における「共和制下での勢力拡大」の解説
ヨーロッパにおいて第二次世界大戦が終結した後に行われた、いわゆる「サレルノの転換」により、1945年6月から1947年5月までアルチーデ・デ・ガスペリの挙国一致政府に参加。トリアッティが副首相と法務大臣に就いた。その後イタリアから王政が廃止されて共和制が敷かれる中で勢力を拡大してゆく。1946年には党員が230万人に達したとして、ギネスブックの「最大の共産党」の項目で共産圏以外で最大の共産党と認定されていたことがある。 1956年12月に行われた第8回大会で「社会主義へのイタリアの道」いわゆる構造改革路線を採択。イタリア共産党はムッソリーニ政権を打倒したパルチザンの中心的な役割を担っていたことや、冷戦下で隣国のユーゴスラビアまでが共産化された中で、ソビエト連邦をはじめとする共産主義陣営から豊富な活動資金が流れ込んだことなどから、西側諸国の共産党では異例の高い支持率を誇った。しかし宗教の存在を否定することから、カトリック教会の総本山であるバチカンからは破門を言い渡されるなど逆風も受ける。
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