六麓荘地域内の開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 01:31 UTC 版)
1936年(昭和11年)から1938年(昭和13年)に、六麓荘の開発構想には元々なかった「芦屋女子学園」の設立がなされた。この学園ができる前は、スケート場や遊園地、テニスコート、運動場などのレジャー施設、あるいは、非常に立派な事務所や茶店が存在した。交番と住民の交流の場となる六麓荘倶楽部(茶席残月亭)が設置されて、大阪のお茶屋式料理を出していた。 また、苦楽園に住んでいた掘抜製帽社長・掘抜義太郎が「東洋一のホテルをここに建てる」という発想のもと、芦屋市街が一望できる場所に「芦屋国際ホテル」という7階建てのホテルを1939年(昭和14年)に開業した。宿泊客はほとんどが西洋人で、大阪・神戸の一流財界人も利用していた。料金は1泊300円。当時の平均的な宿泊料は15 - 30円で、ホワイトカラー勤労者の月給が50円程度であったことからも、超一流ホテルと分かる。その後、太平洋戦争が勃発してホテル営業が停止され、権利は松下電器産業(現 パナソニック)に移るとともに、松下電工(現 パナソニック電工)の研究施設として使用されていた。 かつて存在した芦屋国際ホテルは、敗戦後には連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が占用。その後、芦屋女学校の手に渡って、現在は芦屋大学になっている。 もう一つの特徴として「六麓荘バスの運行」があった。六麓荘は芦屋の中心市街地や駅から約30分と随分と離れている。この辺りのバス運行は阪急、阪神の両私鉄が完全に支配していたが、六麓荘独自でバスを運行させようと「株式会社六麓荘」経営の六麓荘地域交通というバスを運行させた。しかし、結果的に1939年(昭和14年)に阪神バスへ譲渡されるに至る。 現在は芦屋大学、芦屋学園中学校・高等学校、芦屋大学附属幼稚園の各教育機関が六麓荘町内に所在している。全て学校法人芦屋学園による運営である。
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