公式発表による事件のあらまし
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 15:59 UTC 版)
「ネパール王族殺害事件」の記事における「公式発表による事件のあらまし」の解説
ビレンドラ国王の末弟・ディレンドラ王子(この事件で銃撃され、3日後に薨去)の娘婿で、現場に居た国軍のラジーブ・シャヒ大佐の証言を元として、6月14日夜に政府の調査委員会が国王に提出・発表した。 かねてから、ディペンドラ王太子は結婚(希望)相手であったデブヤニ・ラナについて父である国王や母・アイシュワリヤ王妃らに反対されていた。特に王妃は、同祖のラナ家であるものの、デブヤニの家系とは政治的に敵対関係にあるラナ将軍家の出身であったため、強く反対していたという。6月1日に開かれた王族の晩餐会(毎月一回定例で開催されており、この事件によって初めてその存在が明らかになったという)でこの問題が話し合われ、結婚に反対する国王と王妃は、王太子の王位継承権を剥奪するとまで発言した。部屋に戻った王太子は泥酔状態で、午後9時頃再び会場に現れると銃を乱射、自身も直後に銃で自殺を図った。事件で(ディペンドラを除く)9名が死亡、5名が負傷した。
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