公式発表による被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 14:53 UTC 版)
「ロシア飢饉 (1921年-1922年)」の記事における「公式発表による被害」の解説
当時の公式発表では、1921年7月21日と8月4日づけソヴィエト中央執行委員会の政令によって凶作地域が認定された。まずヴォルガ川流域の8つの地域、またウラル(英語版)地方の3つの地域である。この認定地域は、1921年12月までにさらに広がり、10の県や自治共和国が加わった。ポムゴル中央特別委員会では、ヨーロッパ地域とアジア地域を含めたロシア共和国全体で、1921年総播種面積の40%にあたる2100万デシャチーナ(1デシャチーナは約1.1ヘクタール、すなわち約2310万ヘクタール)以上が飢饉地域に指定され、住民約3600万人の罹災(りさい)が指摘された。中央統計管理局によると、1921年-1922年のあいだに505万3000人が餓死した。
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