全道一から全国大会へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/02 22:02 UTC 版)
「高橋正弘 (サッカー指導者)」の記事における「全道一から全国大会へ」の解説
同1969年は全国高等学校総合体育大会(インターハイ)道予選、国体道予選とも初戦で敗退であった。入院による指導不足を悔いた高橋は、初めて部員たちの前で涙を見せた。しかし翌1970年(昭和45年)には素質を持った部員たちの入部もあり、インターハイ道予選の決勝で勝利し、ついに全道一となった。この年はインターハイ全国出場校が全国高校サッカー選手権に出場でき、第49回全国高等学校サッカー選手権大会への切符をも掴むことができた。 この1970年のインターハイの全国大会は初戦で福岡県立新宮高等学校に敗退、翌1971年(昭和46年)の第49回選手権も初戦の相手が強豪校の帝京高等学校、しかも主力選手である部員たちの故障から敗退した。しかし、その後は7年連続で選手権出場を果たし、全国大会の常連の仲間入りを果たすことができた。とは言え北海道では敵なしとなったものの、全国大会では4年連続で初戦敗退、その後も2回戦出場が精一杯で、それ以上勝ち進むことのできない年が続いていた。
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