全国連設立以前の活動とは? わかりやすく解説

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全国連設立以前の活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 04:06 UTC 版)

部落解放同盟全国連合会」の記事における「全国連設立以前の活動」の解説

1981年11月4日それまで部落解放同盟荒本支部瀬川支部長・元東大阪市議)の主導権奪取目的に、解同大阪府連が新たに設立した荒本支部再建準備会」のメンバーらが暴力団員35と共に荒本支部執行委員会襲撃11月19日には地区内の公共施設である「荒本会館」が何者かに銃撃される事件発生しこの後1ヶ月以上にわたって荒本支部」と「再建準備会」の抗争繰り広げられる。この抗争によって「荒本支部」は、支部丸ごと大阪府連から追放されることになる。 内紛原因としては、当時拡大一途にあった東大阪市同和対策事業関わる利権独占という見方一般的だが、全国連主張する運動路線上対立」による分裂という一面含まれている。当時部落解放同盟には「革命的共産主義者同盟全国委員会中核派)」のメンバー多数在籍しており、特に荒本支部運動中核派理念色濃く反映され分裂直前時期には解同中央本部活動方針から大幅に乖離していた。1970年代には密接な共闘関係にあった解放同盟中核派だが、対立し、共にセクトとされる日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派革マル派)」との内ゲバ激化させて世論激し非難浴びるようになると、解放同盟中核派との共闘関係運動進め上で障害見做すようになり、やがて解放同盟内の中核派メンバー次々と除名されていく。荒本支部との抗争も、そうした解放同盟方針転換流れ沿ったのであると見ることが出来る。 1984年には、成田空港反対闘争参加した支部青年部同盟員除名処分次々と断行される。大阪府寝屋川支部青年部大阪府寝屋川市)や野崎支部青年部大阪府大東市)などである。これら除名され同盟員荒本支部と共に本家解放同盟とは一線を画した独特の運動主張展開していくことになる。だがこの時点では、荒本支部中心とした除名騒動は、表向きには「内部問題」として処理されていて、日本共産党全国部落解放運動連合会(現:全国地域人権運動総連合)などの外部解放同盟批判団体からも、荒本支部独立した解放運動団体とは捉えられておらず、荒本支部自身も「部落解放同盟荒本支部」と名乗り続けていた。

※この「全国連設立以前の活動」の解説は、「部落解放同盟全国連合会」の解説の一部です。
「全国連設立以前の活動」を含む「部落解放同盟全国連合会」の記事については、「部落解放同盟全国連合会」の概要を参照ください。

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