全国総合開発計画における流域圏の変遷
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「流域圏」の記事における「全国総合開発計画における流域圏の変遷」の解説
第三次全国総合開発計画 三全総(1977年)は、ポスト「日本列島改造論」の計画として、高度成長から安定成長へ、そして田園都市・定住圏構想がテーマとされた。定住圏構想は水系に着目しており「流域圏」構想でもあった。流域圏構想は、乱開発・高度成長への歯止めも意識したものであったという。しかし、三全総においては思想としては生活と環境との調和を掲げたものの、政策の実施に当たってはなお「開発・経済発展」の思想を引きずらざるを得ず、地方圏もそれを求めた。具体的には交通・輸送基盤や情報通信網が整備の重点とされた。結果的に、「流域圏」構想はごく一部の地域でしか実施されなかった。 なお、当時国土庁にあり全総に係わる下河辺淳によると、三全総の前から矢作川において取り組まれてきた活動にヒントを得て、国土管理上の重要なテーマの一つとして「流域圏」の概念を三全総にとり入れていったという。 第四次全国総合開発計画 四全総(1987年)では、三全総以降いっそう進んだ都市化、東京一極集中に対して、多極分散型国土の形成がテーマとされたが、「流域圏」の議論は深まりを見せなかった。 第五次全国総合開発計画 五全総(21世紀の国土のグランドデザイン、1998年)においては、バブル崩壊、人口減少時代の到来を見据え、底流の思想としては国土の「開発」から「維持・管理」へ軸足を移しており、「流域圏」の構想が提示された。その意味するところは、冒頭に記したとおりである。国土管理の色彩が強い。わざわざ「三全総の流域圏とは概念が異なる」と注記を付している。
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