全国総合開発計画における流域圏の変遷とは? わかりやすく解説

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全国総合開発計画における流域圏の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/08 08:16 UTC 版)

流域圏」の記事における「全国総合開発計画における流域圏の変遷」の解説

第三次全国総合開発計画 三全総1977年)は、ポスト日本列島改造論」の計画として、高度成長から安定成長へ、そして田園都市定住構想テーマとされた。定住構想水系着目しており「流域圏構想でもあった。流域圏構想は、乱開発高度成長への歯止め意識したものであったという。しかし、三全総においては思想としては生活と環境との調和掲げたものの、政策の実施当たってはなお「開発経済発展」の思想を引きずらざるを得ず地方圏もそれを求めた具体的に交通・輸送基盤情報通信網が整備重点とされた。結果的に、「流域圏構想ごく一部地域でしか実施されなかった。 なお、当時国土庁にあり全総係わる下河辺淳によると、三全総の前から矢作川において取り組まれてきた活動ヒント得て国土管理上の重要なテーマ一つとして流域圏」の概念三全総にとり入れていったという。 第四次全国総合開発計画 四全総1987年)では、三全総以降いっそう進んだ都市化東京一極集中に対して多極分散型国土形成テーマとされたが、「流域圏」の議論深まり見せなかった。 第五次全国総合開発計画 五全総21世紀の国土のグランドデザイン1998年においてはバブル崩壊人口減少時代到来見据え底流思想としては国土の「開発」から「維持・管理」へ軸足移しており、「流域圏」の構想提示された。その意味するところは、冒頭記したとおりである。国土管理色彩が強い。わざわざ「三全総流域圏とは概念異なる」と注記付している。

※この「全国総合開発計画における流域圏の変遷」の解説は、「流域圏」の解説の一部です。
「全国総合開発計画における流域圏の変遷」を含む「流域圏」の記事については、「流域圏」の概要を参照ください。

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