党の支持層と党員
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「立憲民主党 (ロシア)」の記事における「党の支持層と党員」の解説
「Category:ロシア立憲民主党の人物」も参照 カデットは知識専門職層と地主貴族を主な支持層としていた。また、多くの党員が地方議会であるゼムストヴォの議員経験者であった。 もっとも、カデットは結党当初から自らを「超階級」「全国民的」な党であると主張し、前述したような機関紙などを用いて労働者や農民、商工業者も取り込もうとしていた。 党内には、特に大学教授や弁護士が突出して多く、第2回党大会で選ばれた26名の党中央委員のうち18名の委員が大学教授ないし弁護士であった。党幹部の知的水準は非常に高かったとされ、例えば、党首ミリュコーフは、モスクワ大学のロシア史の講師であったし、党の中心的人物の一人ココシキンはハイデルベルクやパリなどに留学したことのある学者であった。その他、党中央委員には、セルゲイ・オルデンブルクやウラジーミル・ヴェルナツキーといった著名な学者が加わっていた。 党員数は1906年1月時点で10万人であり、1908年1月時点で3万人以下、さらに1917年時点では5万人となっている。また、稲子 (2007)に拠って、各国会等のカデットの議席数を示す。 党勢選挙議席/総議席出典第1国会 179 / 478 第2国会 98 / 518 第3国会 54 / 442 第4国会 53 / 442 憲法制定会議 15 / 715
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