党の創立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 21:02 UTC 版)
「ロシア社会民主労働党」の記事における「党の創立」の解説
1890年代に入り、ロシアにおいても工業化の進展とともに労働運動が興隆し、それを基盤に様々な社会民主主義(マルクス主義)グループが形成された。そこで次第に全国的な党の創立が課題とされるようになった。 そこで当時有力だったキエフのグループが中心となり、1898年にミンスクで党の創立大会が開かれた。この大会は党名を「ロシア社会民主党」とし、すでに発行されていた『ラボーチャヤ・ガゼータ(労働者新聞)』を党中央機関紙とし、中央委員会を選出した。 中央委員会はピョートル・ストルーヴェに党の宣言の起草を依頼したが、大会直後に大量の逮捕によって解体してしまい、実質的な活動を始めることはできなかった。宣言を起草したストルーヴェは独断で党名を「ロシア社会民主労働党」とし、以後この名前が定着した。
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