党の分析・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 00:18 UTC 版)
共産党は「唯一の労働者党」を自称し、労働者階級の多数派を自党の下に置くことを目指した。しかし労働者階級の多数の獲得を目標を掲げていること自体、共産党が労働者の少数派しか獲得できていないことを示している。またヴァイマル共和政末期についていえば共産党の党員の大多数は失業者であって、経営に属する労働者はわずかしかいなかった(詳しくは後述)。 選挙結果で見ると共産党に投票した層は明らかに労働者階級の範囲を超えている。ナチスほどではないにせよ、共産党にも包括政党の面があった事は否定できない。1932年にジグムント・ノイマンは、共産党の性質についてその独裁体質と階級を超えた不満層の包括政党になっている面から、ナチ党とともに「絶対主義的統合政党」に分類する分析を行った。 フレヒトハイムは、ドイツ共産党は他国の共産党と違ってロシア10月革命の直接の影響から生まれたわけではなく、戦争で生じたドイツの国内状況から独自に誕生したため、モスクワから独立した立場を取りうる余地があったことを指摘したうえで「結党直後のカール・リープクネヒト、ローザ・ルクセンブルク、レオ・ヨギヘスの非業の死はその後のドイツ共産党の発展の方向を決定的に変えてしまった。彼ら ―特にローザ・ルクセンブルク― の死が避けられたのならば、その後のドイツ共産党は一方ではコミンテルンに隷従する党にはならなかっただろうし、他方ではルクセンブルク主義の発展の基礎としてプロレタリア大衆の自発性を重んじつつ、ヴァイマル体制内で自主的かつ現実的な政策を打ち出していただろう」としてローザ・ルクセンブルクの死を惜しんでいる。
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