元部隊員への尋問・関連論文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 07:41 UTC 版)
「731部隊」の記事における「元部隊員への尋問・関連論文」の解説
戦後のサンダースやトンプソンによる調査において、田中淳雄少佐は、1943年に防疫研究の余暇を使ってペストノミの増殖の研究を命ぜられたものの、ペストノミの増殖に不可欠な白ネズミが不足していたことから、ペストノミの大量増殖は不可能であったと供述している。 その後、1947年に米軍の細菌戦研究機関キャンプ・デトリック(現フォート・デトリック)のノーバート・フェル博士らが行った731部隊関係者からの事情聴取によると、日中戦争(支那事変)において、浙贛作戦(1942年)などで12回の生物兵器の使用があったとする。また、ペスト菌汚染された蚤を空中散布した、チフス菌を井戸や畑の果物などに撒いた、細菌入りの饅頭を配ったなどとする証言者も複数存在する。 サンダース、トンプソンによる調査において元隊員が人体実験や細菌戦について語らなかった理由について、トンプソンは、開示する情報の量と質が事前に指示されていたのでは無いかと推測しつつ、生物戦、特に攻撃面の研究・開発の規模について小さく見せたいという意図があったのであろうと述べている。
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