元禄二朱判とは? わかりやすく解説

元禄二朱判

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/31 07:40 UTC 版)

二朱金」の記事における「元禄二朱判」の解説

詳細は「元禄小判#元禄二朱判」を参照 元禄二朱判(げんろくにしゅばん)は元禄小判同品位であり、量目1/8つくられており本位金貨性格有する慶長金時代は、一分判より低額計数貨幣寛永通寳一文銭しかなく、一分公定相場一貫文に相当するため高額貨幣小額貨幣中間相当する計数貨幣無く甚だ使い勝手が悪いため、「二朱」という額面歓迎されるものであった。しかし幕府慶長金回収促進するため、二朱判への両替元禄金に限るという策を講じた

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元禄二朱判

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/21 03:46 UTC 版)

元禄小判」の記事における「元禄二朱判」の解説

元禄二朱判(げんろくにしゅばん)は元禄小判同品位、1/8量目でもってつくられ長方形短冊形二朱判であり、表面上部に扇桐紋下部横書きで「二」、裏面は「光次」とその右上「元」極印打たれている。 元禄10年6月晦日1697年8月16日)にはそれまで一分判加えて慶長金には存在しなかった二朱判を鋳造開始し、同7月9日から通用開始された。 従来一分判未満取引には寛永通寳1,000近くが必要であったが、この新たな額面貨幣小額取引には重宝するものであった。しかも二朱判への両替元禄金元禄小判元禄一分判)に限定し、この元禄金優位性つまり元禄小判所有者のみその利便性享受できるものとして慶長金引替回収図ろうとする幕府目論見でもあった。 通用延期され小判および一分判とは異なり二朱判は宝永吹替えに伴い宝永7年4月15日1710年5月13日)に通用停止となった

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