元来のP.ユルゲンソン出版社
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「ユルゲンソン (出版社)」の記事における「元来のP.ユルゲンソン出版社」の解説
エストニア生まれのピョートル・イヴァノヴィチ・ユルゲンソン(1836年-1904年)がP.ユルゲンソンを設立したのは1861年のことで、その陰にはピアニスト、指揮者、モスクワ音楽院設立者でアントン・ルビンシテインを兄に持つニコライ・ルビンシテインの助言があった。ピョートル・ユルゲンソンが死去すると彼の息子のボリス・ペトロヴィチ・ユルゲンソン(1868年-1935年)とグリゴリー・ペトロヴィチ・ユルゲンソン(1872年-1936年)が会社を引き継ぎ、ボリスが新社長に就任した。1861年から1918年までは、ユルゲンソン社は私的に運営されていたロシアの会社であった。 1868年に最初の作品を出版したのを皮切りに、ユルゲンソン社はほぼ全てのチャイコフスキー作品の出版を手掛けた。チャイコフスキーのキャリア初期には、ユルゲンソン社は彼を援助すべく他の作曲家の作品のピアノ編曲、管弦楽編曲、解釈などの委嘱を行った。財政的なリスクを背負ってまでチャイコフスキー作品の出版に熱意を示したユルゲンソン社はチャイコフスキーの忠誠を獲得する。1870年以降のチャイコフスキー作品でV. Bessel and Co.やNikolai Bernardといった他の出版社から出されたものはわずかしかない。ユルゲンソン社は1880年までにチャイコフスキーの楽曲に関しては世界的な独占販売権を獲得している。協調関係によりユルゲンソンとチャイコフスキーの間には多数の書簡のやり取りが交わされており、チャイコフスキーの創作活動を研究する音楽学者にとって重要な資料となっている。
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