元文の改鋳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 00:06 UTC 版)
元文の改鋳は幕府初のリフレーション政策と位置づけられ、日本経済に好影響をもたらした数少ない改鋳であると積極的に評価する説 がある一方、実質貨幣流通量は減少し、1740年以降は緩やかに上昇するに留まっており、元文の改鋳のリフレ効果はさほど効果がないという説もある。 経済学者の飯田泰之は、徳川吉宗は政策方針を転換し、就任20年目には小判の金含有量を減らして流通量を増やす金融緩和政策を施行した。そのことが吉宗の名君の誉れに一役買ったとしている。
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元文の改鋳
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「元文小判」および「日本のインフレーション#元文のインフレーション」も参照 江戸時代中期に徳川吉宗が行った緊縮財政(享保の改革)により日本経済はデフレーションに陥った。そこで町奉行の大岡忠相、荻生徂徠の提案を受け入れ政策転換し、1736年(元文元年)5月に元文の改鋳を行った。改鋳は差益を得る目的ではなく、純粋に通貨供給量を増やすことが目的であった。改鋳時における新旧通貨交換の際、金貨100両につき65両、銀貨10貫目につき5貫目の増歩が支払われたことから、通貨供給量の増加が主目的であることが理解できる。新保博は「改鋳益金を犠牲にして、新貨の流通を促進するという方向であった」と述べている。元文の通貨は以後80年間安定を続けたが、通貨量が膨張することでギャロッピングインフレを招く結果となった。
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