信仰と思想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 09:31 UTC 版)
キリスト教の信仰 もともとはそれほど熱心なカトリック教徒ではなかったガウディだが、サグラダ・ファミリアの建築に携わるようになって以降、キリスト教への信仰を深めるようになったと考えられる。1894年には四旬節を契機に断食を行なったとされる。また晩年には教会へ行くのが日課となり、禁欲主義から食事も菜食主義や粗食となり、これによる足腰の老化が死に繋がったとも考えられている。 カタルーニャ人として ガウディが建築家として活躍した19世紀末頃は19世紀前半に起こったラ・レッナシェンサ(カタルーニャ復興運動)が盛んな時期であった。ガウディ自身も晩年に近づくにつれて熱烈なカタルーニャ主義者となり、国王アルフォンソ十三世がサグラダ・ファミリアを訪れた際にもカタルーニャ語で話したと言われている。また1924年9月には警察官からの質問に対してカタルーニャ語での返答を押し通した、4時間勾留される事件も起きている。 自身の建築物の中にカタルーニャ文化を組み込むこともあり、カザ・ミラ3階の一住戸にある子ども部屋の天井には花々の中に "O, Mariano te sapiga greu o ser petita tambe ho son les flors y son les treller"というカタルーニャ語の文章が刻まれている。
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