保定地区(1961年-1994年)
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「保定市」の記事における「保定地区(1961年-1994年)」の解説
1961年5月23日 - 保定市が保定専区に降格。(1市11県)市区が市制施行し、県級市の保定市となる。 1961年6月1日 - 保定市の一部が清苑県に編入。(1市11県) 1961年7月9日 (1市15県)定県の一部が分立し、曲陽県が発足。 清苑県の一部が分立し、満城県が発足。 涿県の一部が分立し、雄県が発足。 徐水県・涿県・易県の各一部が合併し、定興県が発足。 保定市の一部が清苑県に編入。 1961年7月 - 唐県の一部が清苑県に編入。(1市15県) 1961年12月 - 満城県の一部が易県に編入。(1市15県) 1962年2月1日 - 易県の一部が張家口専区涿鹿県に編入。(1市15県) 1962年3月27日 (1市22県)高陽県の一部が分立し、蠡県が発足。 涿県・雄県・定興県の各一部が合併し、新城県が発足。 徐水県の一部が分立し、容城県が発足。 満城県の一部が分立し、完県が発足。 唐県の一部が分立し、望都県が発足。 安国県の一部が分立し、博野県が発足。 易県・涿県の各一部が合併し、淶水県が発足。 1962年6月 - 満城県の一部が易県に編入。(1市22県) 1964年4月16日 - 雄県の一部が天津専区覇県に編入。(1市22県) 1964年5月 - 天津専区覇県の一部が雄県に編入。(1市22県) 1964年12月21日 - 保定市の一部が清苑県・満城県に分割編入。(1市22県) 1965年4月29日 (1市22県)満城県の一部が徐水県・清苑県に分割編入。 保定市の一部が清苑県に編入。 1965年9月 - 保定市の一部が満城県に編入。(1市22県) 1966年11月5日 - 天津専区固安県の一部が涿県に編入。(1市22県) 1968年8月 - 保定専区が保定地区に改称。(1市22県) 1974年7月8日 - 易県の一部が満城県に編入。(1市22県) 1982年12月4日 - 石家荘地区行唐県の一部が曲陽県に編入。(1市22県) 1983年11月15日 (21県)保定市が地級市の保定市に昇格。 満城県が保定市に編入。 1986年3月5日 - 定県が市制施行し、定州市となる。(1市20県) 1986年4月5日 - 清苑県が保定市に編入。(1市19県) 1986年9月24日 - 涿県が市制施行し、涿州市となる。(2市18県) 1991年5月6日 - 安国県が市制施行し、安国市となる。(3市17県) 1993年4月9日 - 新城県が市制施行し、高碑店市となる。(4市16県) 1993年5月20日 - 完県が順平県に改称。(4市16県) 1994年12月17日 - 保定地区が保定市と合併し、新制の保定市の発足により消滅。
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