作者・来歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/06/26 14:31 UTC 版)
故実家藤貞幹の偽作とするのが通説だが、それを裏付ける史料はない。もっとも貞幹偽作説の出現は早く、天保年間には流布していた模様である。 来歴には大別して2系統あり、一方が寛政5年(1793年)河本公輔によって書写されたもの、他方が翌年(1794年)柳原紀光(『続史愚抄』の編者)によって書写されたものである。両者とも自家に伝来する希書であるかのように吹聴しているものの、実際には双方同一の内容を持つことや、写本が程なく市中に流布したことを考えると、その背景として偽作者による画策や裏交渉が存在していた可能性がある。この件に関して、岡本保孝が「況斎雑記」で、本書は貞幹が偽作して河本に売ったものであると明記していることは注目に値する。ただし、仮に貞幹による偽作だとしても、その前提となる動機や知見がどの程度のものであったかなど、未解明な点は少なくない。 現在、写本は内閣文庫(8種)・国立国会図書館(2種)・宮内庁書陵部(3種)・尊経閣文庫・大和文華館などに所蔵されるが、翻刻本は未刊である。
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