作曲家・指揮者リヒャルト・シュトラウスとの交流
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シュナイダーハン弦楽四重奏団は、作曲家・指揮者のリヒャルト・シュトラウスと交流を深めた。特に愛するモーツァルトの弦楽五重奏曲第3番をシュナイダーハン弦楽四重奏団が(ヴィオラ奏者を加えて)演奏する際、シュトラウスは足繁く聴きに行った。 1941年4月28日には、戦争のストレスで気落ちしていたシュトラウスを慰めるために、ガルミッシュにある彼の家を訪ね、モーツァルトの弦楽四重奏曲第17番 、ハイドンの弦楽四重奏曲第75番 を演奏した。シュトラウスは感動して落涙するとともに、ハイドンのメヌエットのトリオを、往年のヴァイオリニストヨーゼフ・ヨアヒムがいかに見事に演奏したか、そしてモーツァルトがいかにハイドンを尊敬していたかについて話した。その後シュトラウスは、当時作成していたオペラ『カプリッチョ』の解説をするとともに、その六重奏をピアノで演奏して聴かせた。そして別れの際には、自身が使用していた青い小さな楽譜帳5冊を、各メンバーへの献呈の辞をしたためてプレゼントした(弦楽四重奏団の4人と、同行したウィーン・フィルハーモニー管弦楽団楽団長イェルガーのぶん)。なお、1942年5月7日にシュナイダーハン弦楽四重奏団は上述の六重奏を初演している。これに際しシュトラウスは、弓使いが記入された校正済みの楽譜をメンバーに送るとともに、リハーサルにも立ち会った。 また、1942年の2月には、ジャッカン通りのシュトラウス宅で開催されたゲルハルト・ハウプトマンの80歳祝いに、サプライズゲストとして登場している。 1944年6月11日には、カール・ベーム、ヴィルヘルム・イェルガーとともにジャッカン通りにあるシュトラウス宅を訪れ、誕生日と朝の挨拶としてハイドンの弦楽四重奏曲第67番 の第1楽章を演奏した。
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