作中で登場した歎異抄の一節
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 14:04 UTC 版)
「白夜行」の記事における「作中で登場した歎異抄の一節」の解説
笹垣潤三(演:武田鉄矢)が作中で呟いた歎異抄の一節は次の通り。 第1話:「悪をおそるるなかれ。弥陀の本願さまたげるほどの悪なきゆえに。」(第一章)現代語訳:悪を恐れることはない。阿弥陀仏の本願を妨げるほどの悪はないのだから。 第1話:「わがこころのよくて人殺さずにあらず。人害せじとおもうとも、百人千人殺すことあるべし。」(第十三章)現代語訳:自分の心が善良だから人を殺さないというわけではない。いくら人を殺すまいと思っていても、百人や千人を殺してしまうこともあるだろう。 第3話:「この親鸞は父母供養のため、一返にても念仏そうらわず。」(第五章)現代語訳:この親鸞は、父母の供養のために念仏を唱えたことは一度もない。 第4話:「いづれの行もおよびがたき身なれば、地獄は一定すみかぞかし。」(第二章)現代語訳:どんな修行もできないこの自分なのだから、地獄こそが既に定まってしまっている自分の住みかなのだ。 第5話:「念仏申せば八十億劫の罪滅す」(第十四章)現代語訳:念仏を唱えれば十悪五逆といった重罪でも消滅する(と言うが、それは私たちが信ずべきことではない)。 第6話:「苦悩の旧里(ふるさと)捨てがたく、安らぎの浄土は恋しからず候。」(第九章)現代語訳:苦悩の多いこの世界は捨てがたいものであり、また安らぎの極楽浄土も恋しくはなれない。 第7話:「念仏は浄土に生まれる種あり。地獄におつべき業や、総じて存知せざるなり。」(第二章)現代語訳:念仏は浄土に生まれるためのものか、地獄に落ちるに違いない業か、全て私にも分からないことである。 第9話:「弥陀の本願、悪人成仏のためなれば」(第三章)現代語訳:阿弥陀仏の本願の真意は、悪人を成仏させるためのものである。
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