代官兼務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/16 01:48 UTC 版)
3人の町年寄は豊島郡の関口村・小日向村・金杉村の代官を務めていた。神田上水・玉川上水の支配も彼らの仕事であり、玉川上水が完成した時にも、上水の両脇見分御用に4名の代官の手代1人ずつと町年寄1人が出張した。 寛文6年(1666年)になり、神田上水と本所上水、玉川上水の上水奉行が設けられ、管理は各奉行の扱いとなるが、神田上水取入口の地域にある関口村・小日向村・金杉村の町年寄による代官支配は継続している。 寛文10年(1670年)には、上水管理の問題上から再び上水奉行から町年寄へ管理が移された。この時は水源の羽村から府内までの13里の水路の両側3間を町年寄の所管とし、上水の南側を喜多村彦兵衛(町年寄3代目)、北側を奈良屋市右衛門が担当した。この際に、上水請負人である(玉川家)と村々との間に紛争をおこさないためと、水道に不浄物が投入されないために、自己負担で松と杉の苗木を植えたという。 寛文12年(1672年)に、神田上水大洗堰付近の町方支配をのぞいた在方分は代官支配とされた。 元禄6年(1693年)には神田・玉川両上水は道奉行の管理となり、町奉行の上水管理の廃止によって、町年寄の代官業務および水道管理業務は廃止となった。
※この「代官兼務」の解説は、「町年寄」の解説の一部です。
「代官兼務」を含む「町年寄」の記事については、「町年寄」の概要を参照ください。
- 代官兼務のページへのリンク