代官の役人化変遷過程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 14:25 UTC 版)
幕府の初期財政は貿易収入・金銀採掘によって潤沢だったが、次第に輸入超過となり、採掘量も減少する中、1657年の明暦の大火の復興のため家康以来の貯蓄もほとんど使い果たした。そこで年貢収入に目が向けられ、代官方を督励するようになった。初期代官には家康との個人的結びつきによって任じられた土豪代官と、これを統率する代官頭があり、時には年貢収入を請け負う地元農民(臨時代官)もあった。幕府は代官の土地経営や商売を禁じ、代官の半私領地的であった支配地に代えて知行地を与えるなどして公私混同的地方経営からの転換を図ったが、年貢の私的利用などが続き、改革は困難を極めた。そのため、1681年(天和元年)に勘定吟味役を設置、1687年(貞享4年)に総代官の会計監査を実施して、不良代官の大量粛清と人事異動を行なった。さらに1716年からの享保の改革でも代官粛清が行なわれ、1725年(享保10年)の口米直接収得の廃止とともに、代官の役人化が強化された。
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