仙台への移籍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/21 04:15 UTC 版)
2006年11月末、サガン鳥栖は、年俸など契約条件を提示し交渉を進めていたが、シュナイダーがJ1チームへの移籍を希望していたため、契約更新に至らなかった。「レベルの高いところからオファーがあれば、それは本人のために、本人の意志に任せる」というのがクラブの方針の鳥栖は、翌2007年1月に他クラブとの交渉が自由にできる移籍リストに登録し、J1チームからのオファーを待った。鹿島アントラーズなど具体的なチーム名がいくつか挙がっていたが、同時にJ2・ベガルタ仙台からもオファーがあった。J1チームへの移籍を希望していたため、仙台への移籍はないだろうと思われていたが、最終的にシュナイダーは仙台を移籍先として選択(2006年のJ2での順位は鳥栖が4位で仙台は5位であった)。 仙台移籍1年目の2007年は小針清允からレギュラーを奪取。正GKとして試合に出場し続けたが、6月6日の練習中に右手を骨折。全治3ヶ月と診断され、戦線離脱を余儀なくされた。チームはその後、コンサドーレ札幌から林卓人を期限付き移籍で獲得し、彼を正GKとして起用するようになる。負傷完治後も林から正GKの座を奪い返すことはできず、翌2008年もチームは移籍期間を延長した林を正GKとして起用。シュナイダーはレギュラーはおろか前述の入団当初は第3GK扱いで未だ公式戦出場がなかった萩原達郎に控えの座をも奪われ、試合ではベンチ入りすらできない状況にまで陥った。結局、天皇杯や入れ替え戦を含め、1試合も公式戦に出場することはなく、同年を以って戦力外となりチームを去った。
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