仏教へ改宗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 07:37 UTC 版)
「ビームラーオ・アンベードカル」の記事における「仏教へ改宗」の解説
「新仏教運動」も参照 1950年、アンベードカルは世界仏教徒連盟の創立総会に赴くためにセイロンを訪問、これを切っ掛けとして以前から興味を持っていた仏教への関心を深める。 アンベードカルは学生時代から宗教を否定する共産主義には否定的であり、自分が落選した原因も支持層の重なっていたインド共産党にあるとみていた。そしてマルクスと仏陀を比較する発言を多くするようになり、1953年は次のように述べた。 遅かれ早かれ、今の世代か、次の世代には仏陀かマルクスのどちらかを選ばなくてはならなくなるだろう。アジアは西洋よりもすでに重要性を増しつつあるが、仏教の精神が広まらなければ、アジアにおいても西欧と同じ争いが繰り返されるだろう。 — インド・日本仏教文化協会主催のイベントでの発言 ビルマに2度訪問し、1954年にインド仏教徒協会を創設した。だがこの頃から以前から患っていた糖尿病が悪化し、1956年12月に死去する2ヶ月前の10月14日に三宝・五戒を授けられることで正式に仏教徒となる。これに続いて50万人もの不可触民(ダリット)も仏教へ改宗し、新仏教運動への切っ掛けとなった。
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