仏教への批判と崇儒抑仏政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 04:55 UTC 版)
「鄭道伝」の記事における「仏教への批判と崇儒抑仏政策」の解説
高麗の仏教勢力は大きな力を持ち貴族ともつながって腐敗の温床と化していた。鄭道伝は従来の仏教を批判し仏教勢力の抑制を図った。鄭道伝は『仏氏雑弁』で輪廻転生などの仏教の教理を迷信と断定、論破し、蕭衍など仏教に耽って滅んだ中国の王朝や皇帝の故事を引用し政治家は宗教に没頭してはならないし、迷信を打破すべきだと主張している。この崇儒抑仏政策は仏教徒であった李成桂ではなく奇しくも鄭道伝を殺した太宗李芳遠の手によって実現され、朝鮮で僧は下賤の身とされ漢陽に入ることを禁じられ多くの寺院が無くなった。
※この「仏教への批判と崇儒抑仏政策」の解説は、「鄭道伝」の解説の一部です。
「仏教への批判と崇儒抑仏政策」を含む「鄭道伝」の記事については、「鄭道伝」の概要を参照ください。
- 仏教への批判と崇儒抑仏政策のページへのリンク