今切口の被害と本坂通への回避とは? わかりやすく解説

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今切口の被害と本坂通への回避

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 22:42 UTC 版)

新居関所」の記事における「今切口の被害と本坂通への回避」の解説

新居宿」、「本坂通」、および「気賀関所」も参照 元禄12年1699年)に高潮被害宝永4年1707年宝永地震津波による静岡県西部今切関所白須賀宿袋井宿掛川宿島田宿浜松宿などで被害大きかった今切口の復興今切関所流出移転によって、舞坂宿荒井宿を結ぶ航路であった今切の渡し(静岡県湖西市)が27丁(2.9)から1里(約4km)の延長により渡航不便になったため、東海道利用避け本坂道回避したその様子は『宝永七~正徳元年 地震後の湊口修復に関する書類』にて伺うことができる。 右湊口乱杭御普請之義去ル亥年地震津浪ニ付、湊口広ク罷成、往来渡船場へ浪強有之ニ付、御大名様其外往来本坂越いたし、浜松吉田迄宿々致困窮、右宿之者共御公儀江願出候ニ付、右之御普請被、仰付候、御普請出来之節、乱杭新居洲崎百間余洲出、其後毎々出洲有之、当年迄ニ而八拾間程之出洲ニ罷成、此分湊口ふさかり候故渡海場静ニ罷成候、 寅正月十六日 — 東京大学地震研究所1981)、46頁より。、『宝永七~正徳元年 地震後の湊口修復に関する書類宝永地震から1年以上経過した後も、東海道利用者はもどらず復興ままならないことから、宝永6年3月1709年)に浜松宿始め舞阪新居白須賀二川吉田の6宿は、公的旅行では東海道利用するよう嘆願書出された。10年後の享保2年1717年11月になり、本坂道通行差留となったその後明和元年1769年)に、幕府本坂道道中奉行管轄とし、東海道一定の大通行に耐えうる付属街道位置づけ安政元年1854年11月4日には安政東海地震があり、新居舞坂津波による被害をうけた。新居関所大破し付近家屋10全壊し31軒を半壊破損し溺死14人出した。現存建物新居関所は翌安政5年1858年)までに改築された。

※この「今切口の被害と本坂通への回避」の解説は、「新居関所」の解説の一部です。
「今切口の被害と本坂通への回避」を含む「新居関所」の記事については、「新居関所」の概要を参照ください。

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