今切の渡しと船着き場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/02 08:23 UTC 版)
明応8年(1498年)8月25日に、明応地震が起こり、遠州灘沿岸は津波に襲われた。津波により浜名湖開口部が沈下し、今切口が決壊して、湖に海水が流入し、浜名湖は塩水湖となった。そのため、浜名湖の今切口を通過するため舞坂ー新居間を結ぶ渡船である今切の渡しが置かれていた。舞坂から対岸の新居との間は約6キロ離れていたが、宝永4年(1707年)の宝永地震の津波被害により今切口の復興と対岸の荒井にあった今切関所が西へ移転されたことによって、舞坂宿と荒井宿を結ぶ航路であった今切の渡しが27丁(2.9㎞)から1里(約4km)の延長となった。 舞坂宿には、浜名湖今切口の今切渡し船場があった。船着場には階段状の構造物である「雁木」があった。明暦3年(1657年)から寛文元年(1661年)にかけて構築されたという。船着場は、3区分され 「北雁木」が大名用、 「中(本)雁木」 が武家用、「南雁木(渡荷場)」が庶民用また荷物の積みおろしに使用されていた。舞阪では「雁木」を「がんぎ」とよまず、「がんげ」呼ばれていた。
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