人種抗争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/07 18:24 UTC 版)
1969年にクリップス、1972年にブラッズが結成されると、それまでの黒人ギャングとは比較にならない凶暴性を持つ彼等は急速に組織を拡大させて行った。特に1980年代に入るとクラック[要曖昧さ回避]・ブームに乗って組織は爆発的に巨大化し、ロサンゼルスには2万5千人の黒人ギャングメンバーがいたとされる。1993年、ロサンゼルス暴動時にクリップスメンバーが白人のみならずヒスパニック住人も襲撃していた事に対し、メキシカン・マフィアはスレーニョス各組織へスレーニョス同士の抗争の禁止、そして団結して黒人ギャングへ当たるよう通達。以後、サウス・セントラルに拠点を置くフロレンシア・13はクリップスとの抗争の主力となって行く。 2004年、フローレンス・ファイアストーンにてイーストコースト・クリップスのメンバーがフロレンシア・13の幹部の麻薬を強奪する事件が起こると、両組織は本格的に抗争に突入する。翌2005年から2007年にかけて80人以上の死者を出し、フロレンシア・13側は黒人とあらばクリップスメンバー以外の一般市民も標的にしていたという。2010年代には組織間の休戦協定により大規模な衝突は発生していないが、現在も散発的に小競り合いが続いており緊張状態にある。 なお、2007年には事態を重くみたロサンゼルス郡保安局によるフロレンシア・13摘発作戦「オペレーション・ジョーカーズ・ワイルド」が行われ、102名のメンバーが逮捕されている。
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