京・伏魔殿編(第28回 - 第37回)
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光秀は迷いながらも信長の家臣になることを断り、義昭の奉公衆として新たな幕府運営が始まったが、三好家残党などの敵対勢力は健在であり、また摂津晴門ら幕府内の旧勢力による抵抗も深刻であった。信長は幕府に従わない朝倉義景の討伐を計画するが、摂津らは義景や浅井長政ら敵対する諸大名、比叡山延暦寺や大坂本願寺ら寺社勢力と手を組み信長の妨害に動く。比叡山延暦寺の天台座主・覚恕は兄・正親町天皇への対抗心と財産を奪った信長への反感から、執拗に信長に敵対した。元亀2年(1571年)、信長は比叡山の焼き討ちを行い、摂津らは義昭に信長と手を切るように迫るようになる。なんとか両者を取り持とうとする光秀だったが義昭は説得に耳を貸さず、摂津らによって命を狙われたこともあって、ついには幕府を去り信長の家臣となる。一方、光秀と袂を分かった義昭は信長包囲網を形成し挙兵するも、頼みの武田信玄が病死したことで包囲網は瓦解。羽柴秀吉の手によって捕らえられ京を追放される。 義昭追放により室町幕府は事実上の滅亡を迎え、代わって強大な権力を得た信長は、正親町天皇から切り取りの許可の出た東大寺正倉院の宝物である蘭奢待を、歓心を得ようと天皇にも献上するが、これはかえって出過ぎた行為として天皇の懸念を招くこととなる。また信長も、自らの好意に応じない天皇に不信感を持つようになる。
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