交通部長および経済部長時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/01 22:45 UTC 版)
「孫運璿」の記事における「交通部長および経済部長時代」の解説
1967年末、技術官僚として政府中枢より注目されていた孫運璿は厳家淦内閣で交通部長に就任した。就任した孫運璿はまず農村での道路整備政策を、その後全国の道路網整備を推進し台湾の自動車交通の基礎を築いた。また「十大建設」計画が推進されていた時期でもあったため、北迴線、中正機場、台中港、蘇澳港、鉄道電化、中山高速公路等の建設計画を担当した。 1969年、経済部長の陶声洋が癌で急死すると、孫運璿は経済部長に転任した。1970年には台湾は対外貿易で大きな発展をみたが、まもなく国際連合を脱退した政治情勢の変化と、1973年に発生した第一次オイルショックは台湾経済に深刻な打撃を与えた。孫運璿は訪問団を率いサウジアラビアを訪問し、経済協力と引き換えに中東の石油資源の確保を図っている。しかし国際原油価格の暴騰は台湾の消費物価の急激な状況を招いた。
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