交易の民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 12:28 UTC 版)
北方諸民族は山丹貿易などの交易に携わっていたが、特にアイヌは和人や大陸との交易なしでは生活必需品が確保できない文化を形成しており(鉄製品と漆器、絹織物など)、彼らと和人の仲介役として渡党が活躍した。 志苔館跡(函館市)からは、15世紀前半ごろ埋蔵と推定されている甕の中から計40万枚にのぼる主に中国の古銭が発掘されており、これは日本国内で1カ所から発掘された古銭としては最大級の量である。 松前藩では、蝦夷地に藩主自ら交易船を送り、家臣に対する知行も、蝦夷地に商場(あきないば)を割り当て交易船を送る権利を認めるという形でなされており、武士と商人の兼業のような形態であった。
※この「交易の民」の解説は、「渡党」の解説の一部です。
「交易の民」を含む「渡党」の記事については、「渡党」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から交易の民を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から交易の民 を検索
- 交易の民のページへのリンク