井田毅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/14 10:21 UTC 版)
井田 毅(いだ たけし、1930年(昭和5年)1月13日 - 2013年(平成25年)8月20日)は、日本の実業家。サンヨー食品の創業者で、同社社長としてインスタントラーメン商品「サッポロ一番」の開発に携わった。後任社長の井田純一郎は子[1]。
経歴
群馬県前橋市出身。旧制巣鴨経済専門学校(現千葉商科大学)卒業。父の井田文夫と共に、1953年(昭和28年)に「富士製麺」を設立し、これがサンヨー食品の創業となる[2]。この「富士製麺」は、1961年(昭和36年)に「サンヨー食品」という会社となる。井田毅を実質的な創業者とするサイトもある[3]。
札幌で食べた大宮守人のラーメンに注目し、「サッポロ一番」という商標のインスタントラーメンの開発に携わり、1966年(昭和41年)に「サッポロ一番」を売り出す[4]。「サッポロ一番」のインスタントラーメンが、全国的に広まり売れわたる。
1975年(昭和50年)、サンヨー食品株式会社の社長に就任する[4]。1998年(平成10年)、社長の職を辞して、相談役に退く。
2013年(平成25年)8月20日に、肺炎のため83歳で死去[4]。
「もう一人のラーメン王」と安藤百福と共に語られることもある[5]。
親族
関連書籍
脚注
- ^ “FM GUNMA × 群馬県信用保証協会 平成28年11月10日(第44回)放送” (PDF). 群馬県信用保証協会 公式ウェブサイト. 2021年12月6日閲覧。
- ^ 「サッポロ一番」生みの親、井田毅氏が死去 83歳 - 日本経済新聞2013年8月25日
- ^ もう一人のラーメン王 サンヨー食品創業者 井田毅 物語 - 日経ストア
- ^ a b c 「サッポロ一番」大ヒット商品に 群馬・井田毅さん死去 - 朝日新聞2013年8月27日
- ^ 『もう一人のラーメン王』日本経済新聞社刊 - 紀伊国屋書店
- ^ 「付属図書館がリニューアルオープンしました」千葉商科大学
関連項目
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井田毅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/01 07:21 UTC 版)
暗い、どす黒い、森の獣のような光を帯びた美しい目。軍国主義的な校風のQ大学を卒業。山岳部と剣道部員だった。一昨年の春に脳溢血で死んだ父は倉庫会社を経営する実業家で猟友会員だった。毅も狩猟免許を持ち、ミットランド銃を所持。亡き父の倉庫会社で働き、東京に居住。兄は戦死。
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