井田村・猪田村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 00:16 UTC 版)
「桶狭間の戦いの戦場に関する議論」の記事における「井田村・猪田村」の解説
『桶梜間合戦名残』(文政年間(1818年 - 1830年)?)には桶狭間村はかつて「井田村」であったという記述がある。「井田村」を「猪田村」と記述する資料もあるほか、和光山長福寺には桶狭間が11世紀頃に「猪田村」であったことを示す古文書が残されているという。井田村もしくは猪田村の詳細ははっきりしないが、大府市北崎町には「井田」という字名が残っており、この「井田」との関連性が指摘されている。すなわち、大字桶狭間の東方にある東ノ池は、名古屋市緑区・豊明市・大府市(北崎町井田)の境界線の交点(位置)付近に位置するため池であり、水利上の関係からかつては東ノ池を中心に井田村が同心円上に広がっていたのではないかとする。後年、井田村の多くが桶狭間村に改名し、南側の大府市域に井田という地名が残ったとする理解である。
※この「井田村・猪田村」の解説は、「桶狭間の戦いの戦場に関する議論」の解説の一部です。
「井田村・猪田村」を含む「桶狭間の戦いの戦場に関する議論」の記事については、「桶狭間の戦いの戦場に関する議論」の概要を参照ください。
- 井田村・猪田村のページへのリンク