井上伊織とは? わかりやすく解説

井上良矩

(井上伊織 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/28 08:09 UTC 版)

 
井上 良矩
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 不明
死没 文化4年11月27日1807年12月25日[1]
別名 吉太郎、官治[注釈 1]、伊織[2]
戒名 靖節院仁誉湖山了矩居士[1]
墓所 平田寺[1]
主君 田沼意次
相良藩 家老
父母 父:井上郡太夫[2]
直記[1]、成瀬正延の妻[3]
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井上 良矩(いのうえ よしのり)は、江戸時代中期から後期の武士相良藩士。通称は伊織

経歴

近江国甲賀郡妙感寺[注釈 2]浪人・井上郡太夫の子[2]延享3年(1746年)当時は幕府小姓組だった田沼意次の中小姓として出仕。昇進して家老に取り立てられる。石高は天明6年(1786年)の時点で600石を知行した[2]。意次が権勢を握るとその家老である良矩のそれも「殊更に時めきたり」という有様で、『甲子夜話』には船手頭・向井政香にを据えさせ、勘定奉行松本秀持に灰を払わせていたという話が語られている[4]

明和4年(1767年)相良藩主となっていた意次に相良城築城の許しが出るとその普請奉行に任じられ、翌年より相良へ下向してその総責任者を務めた[5][2]。安永9年(1780年)に普請は完了し、その功をもって井上家を永代家老とする黒印状を賜った[6][2]

脚注

注釈

  1. ^ 寛治、寛司とも書く[2]
  2. ^ 現・滋賀県湖南市三雲

出典

参考文献


井上伊織

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 00:56 UTC 版)

田沼意次」の記事における「井上伊織」の解説

近江国甲賀郡出身。諱は良矩(よしのり)。父は浪人井上太夫16歳の時から田沼家仕え22歳家老となる。意次の信頼厚く当初井上寛司といったが、意次の要望伊織改める。相良城築城指揮をとる。後に意次から永代家老職与えられ子孫代々田沼家仕え続けた

※この「井上伊織」の解説は、「田沼意次」の解説の一部です。
「井上伊織」を含む「田沼意次」の記事については、「田沼意次」の概要を参照ください。

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