五山文学の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/28 00:22 UTC 版)
室町時代に入ると、鎌倉五山や京都五山(京五山)では、幕府の外交文書を起草するという必要性も伴い、四六文を用いた法語や漢詩を作る才が重視されたことも関係して、五山文学が栄えることとなった。五山文学こそは、五山文化の中心であった。 禅の法語をはじめ、詩文、日記、論説などの分野に及ぶ。代表的な詩文集に、義堂周信の『空華集』、絶海中津の『蕉堅稿』などがある。また、漢文学の盛行に伴って、木版出版も起こった。とりわけ、14世紀後半、京都の天龍寺雲居庵や、臨川寺で、春屋妙葩らが盛んに出版活動を展開した。これらの木版印刷を五山版と呼ぶ。その大多数は、日本に伝わった宋版や元版を覆刻したものであり、古様を伝えるものも多く、版本学的な資料価値が非常に高い。
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