予研P4施設反対運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 07:14 UTC 版)
「村山団地 (東京都)」の記事における「予研P4施設反対運動」の解説
1961年(昭和36年)、国立予防衛生研究所(予研、現:国立感染症研究所)が国立村山療養所(現:国立病院機構村山医療センター)の敷地内にワクチン検定庁舎を設置し、のち村山庁舎とした。1979年9月、村山庁舎をP4施設として使用する計画が予研から武蔵村山市役所に伝えられ、1981年6月にP4施設が完成した。読売新聞多摩版が同年10月29日にP4施設について報道し、天然痘ウイルスやエボラウイルスなど最も危険性の高い病原体を扱う施設であることが報じられると、村山団地連合自治会はこれに対して強く反発、同年11月20日に市に対し質問書を提出した。団地住民の反対の声が市を動かし、武蔵村山市議会も安全性が確保されるまでの実験延期と、安全確保がなされない場合は施設移転を要求する意見書を厚生大臣に提出することを決議。これを受け、厚生省も地元への説明不足を認めて実験延期要請を受け入れるに至った。 その後も長らく、村山団地自治会をはじめとする地元住民の反対によりBSL-4施設としての運用は行えなかったが、2014年の西アフリカエボラ出血熱流行を受け、同年11月に厚生労働大臣が市長と協議を開始。翌2015年8月7日に村山庁舎が日本初のBSL-4施設に指定された。 ただしこの際のBSL4施設稼働については、将来的な移転を市が条件としていたことと、村山庁舎の老朽化が指摘されていたことから、厚生労働省は2020年8月5日、武蔵村山市に対しBSL4施設の移転を検討開始することを伝えた。 「バイオセーフティレベル」および「国立感染症研究所#村山庁舎」も参照
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